RSS2.0フィールド

RSS2.0フィールド

Multilingual Translation

QRコード

QR code

オンラインユーザ

ゲストユーザ: 3

 2017年12月18日(月)

東北支援活動報告

  • 2012年5月20日(日)
  • 閲覧件数
    1,754

東北支援活動報告
KCFMの玉木です。
今年のゴールデンウイークを使って東北は岩手県大槌町のボランティア活動に参加してきたので報告します。

写真報告は下記のリンクからご覧下さい。
写真報告(スライド
https://picasaweb.google.com/116777038828419168426/tnDcBC

■ボランティア活動期間:2012年4月30日-5月3日までの実質4日間
■災害支援窓口:
遠野まごころネットhttp://tonomagokoro.net/
■活動概要:
◆4/28(土)-4/29(日):20:00京都駅出発。同伴者(A氏)の運転する軽自動車でA氏の娘さん宅のある埼玉県で一時停泊の後、再び一路岩手県は遠野市へ。29日の18:00に震災ボランティアセンターのある遠野市着。受付を済ませ、13区公民館で宿泊。またこの日、求人募集をみて「生活支援チーム」に連絡。翌日からの活動先としてアクセプトされる。

◆4/30(日):活動初日。AM7:20にセンター待ち合わせの上、車で生活支援チーム事務所のある大槌町の吉里吉里に移動。始業時間の9:00よりオリエンを受け、活動開始。初日は桜木町の在宅訪問。訪問件数約5件。夜は再び遠野13区の公民館に戻って宿泊。

◆5/1(月):二日目も遠野の公民館から吉里吉里の事務所に移動し、ミーティングを受けて桜木町の訪問。訪問件数約10件。この日より夜は吉里吉里の事務所に宿泊。

◆5/2(火):安渡地区の仮設住宅訪問。訪問件数約5件。午後には小鎚地区の仮設住宅の駐車場で開かれたクノキファミリーのライブに仮説の住人をお誘いして参加。

◆5/3(水):活動最終日。再び桜木町地区の訪問。ひどい雨のため5件程度訪問した後15時には切り上げる。午前中に訪問した被災者から約1時間みっちりお話を聞く。

◆5/4(木):大雨、洪水警報の発令された現場をあとに京都に向けて再び軽自動車で出発。夜23時過ぎに京都着。

=はじめに:支援実現までの道のり=

被災地支援はどうしてもやりたかったことであったが、日々の業務に忙殺されてなかなか現実のものとできなかった。知人であるA氏の誘いを受け、今年 の早い段階からゴールデンウイークを使って支援に行くことを計画。当初は医師として被災地での医療体制の支援をイメージしていたが、インターネットで公に 医師を募集している被災地はなし。

別ルートで被災地の医師会に打診してみたところ、「他府県からの医師の受け入れはしていない」、という返答。日本プライマリ・ケア連合学会による東日本大 震災支援プロジェクト(PCAT)を通じて、気仙沼市の本吉病院から医師募集があることを知ったが、病院も休みとなるゴールデンウイーク中の活動であるこ と、数日間というごく短期での活動に制限されること、などから別の支援口を探した。

誘っていただいたA氏は以前に岩手支援に入り、そことのつながりを意識していること、そして大規模な支援組織として、岩手復興に機能しているNPO法人 「遠野まごころネット」から比較的容易にアクセスできること、支援活動は多様で、自分のスキルを活かす活動の選択肢がある可能性があること、などから、最 終的に医師ではなく一ボランティアとして「遠野まごころネット」から現地参入することを決定した。


=生活支援チームとして活動して=


生活支援チームとは
被災から1年が経過し、避難所から仮設住宅への移住は終了し、在宅をリフォームして少しずつ在宅に戻ってくる被災者が増えている段階。現在被災地は、人員と物資を必要とする早期救済期から自立を支援する自立生活支援期へと移行している。

行政や自治体は被災者への手当のあり方とともに被災した地域の新たな防災計画および箱物をどうするか、そして今後の復興に向けての都市再生計画を進めている。一方、個々の被災者の心とからだの健康に目を向けるパーソナル・サポートの必要性が重要視されている。

現在家族を失ったり、若年層が仕事や安全な生活を求めて県外に出たりすることにより仮設住宅や在宅の独居世帯が増えている。そんな中自殺や孤独死も社会問 題になっている。生活支援チームは、そんな仮設住宅や在宅に住んでおられる被災者ひとりひとりに寄り添い、一軒一軒ご自宅を訪問して、生活に必要な情報提 供とともに心のケアを提供するサポートチームである。

チーム構成
生活支援チームのメンバーは約10名程度。そのうち、長期にボランティアに入っており、現在はまごころネットからの雇用を受けている方が半分くらいであと は短期のボランティアで構成される。中には地元での仕事をしながら定期的にボランティアに入る方、他府県からの支援部隊として現地入りし、現在はそのボラ ンティアの経験を地元での防災普及の活動につなげておられる方もいらっしゃった。

活動内容
大槌の生活支援チームがカバーする地区は大槌地区の仮設住宅集落20くらい。在宅は、沢山、桜木町、安渡、小鎚など5地区くらい。在宅、仮設合わせると世帯にして2000世帯くらいに及ぶ。

★日常で行う支援活動内容は以下のとおり。

1.情報誌やイベント企画のビラを手渡して、生活に有用な情報を提供する
仮設住宅は一定コミュニティを形成しやすく、またボランティアもまっさきに入るために比較的情報が入りやすい。しかし、在宅では、それらの利点が担保されないため、情報が入りにくく、孤立しやすい状況になっている。

2.生活上のニードを聞き出し、新たな支援につなげる
今なお、土砂で埋まった溝や瓦礫の残る地域もたくさんある。それらの除去作業の要望については、まごころネットの本部連絡会を通じて、ハード部隊の支援が入る仕組みになっている。他には、仮設住宅のベランダづくりや、ガーデニングの手伝いの要望などもある。

3.同時に話している方の年齢、家族構成、健康状態を聞き、フォローの必要度をランク付けする
自治体から個人情報とのことで、情報が入らないため、一軒一軒回って情報を集める必要がある。しかし、ボランティアは訪問のプロではないため、知らずのうちに傷つけてしまったり、また心閉ざされた被災者の話や対応に逆に心の傷を追う場合もある。

4.仕事先の案内
現在、市やNPOの斡旋活動が始まっている。特に資格をとって長期間従事できる仕事の案内を奨励しており、私が訪れたときは、林業を斡旋するビラが配られていた。しかし、もともと漁業を長年してきた住人が多い地区であり、抵抗が大きいのが現状。
 

=まだまだ問題山積する被災地の現状=

外から見ていて思いを馳せるのと、実際に行ってみてわかることの彼我の隔たりは大きい。以下、私が見聞きして感じたままの被災地の現状である。

今なお続く地震
現地入りして驚いたが、今なお小さいものから震度3?4程度のものまでほぼ毎日のように続いている。住人は「もう慣れた」というが、その不安は大きい。

今なお残る大災害の爪あと
津波の被害が大きかったところに足を踏み入れて目に写ったのは、被災後1年経つにもかかわらず建物の土台が残されるのみで、ほぼ全く何もない被災地の光景であった。あまりの被害の大きさに鳥肌がたった。墓地では墓石が散乱し、道は砂埃にまみれ、走る車は泥だらけであった。

火事で煤けた大槌小学校(今は建物が流された消防署が設置されている)はモニュメントとして残すらしい。在宅に戻ってなんとか生活を開始した被災者の方がたの話を聞くと、被災時の生々しい被害の状況が伝わってきた。そして、現在もまだまだ悲惨な状況であることがよくわかった。

お風呂の修理費がなく、未だに知人に借りて入浴している方、仮設住宅に対する不平、写真やアルバムが塩に浸かってしまい良き日の記憶までもが奪われようとしていることの嘆き。家から思い出の品々、生活に至るまであらゆるものが奪われた、そんな経験の数々だった。そして言葉には出さないが、先行きの不安が表情にありありと刻まれていた。
 

数知れず存在する被災者間の溝

・仮設住宅の設計の差
そもそも仮設住宅の入居はくじびきだったという。しかし、仮設住宅設営に参入している建設会社によっても立て付けや間取りは相当異なるようで、利用者の中 で不公平感が噴出したとのこと。大体被災した地区毎に入居仮設住宅が決まっているようであるが、隣町から入居せざるをえない被災者もいて、仮設住宅におけ るコミュニティの形成に障害を生じている。

・仮設と在宅による支給物資の差
日赤からの補助として仮設入居者には義援金の他に生活家電6点セット(冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、テレビ、電気ポット)が支給されたが、家屋の 1階は津波ですべての家電が使えなくなった在宅生活者には、支給はなかった。ちなみにすでに述べたように、今の時期は情報の入りやすさについても、在宅と 仮設の住人では差がある。

・義援金、義損金額の差
津波被害により全壊は150万、半壊は75万円の補助金が2階の床に達したかどうかで決まったとのこと。2階床に達しようが達しまいが損失はそれほど変わらないのに額として半分になることにも不満が墳丘したとのこと。

・対人関係の差別
「お茶っ子」と呼ばれる高齢者が集うコミュニティにおいても、仮設住宅の住人から在宅の住人に対して「家があるのにどうしてここに来るんだ」といわれ傷つ くようなケースがあるとのこと。以後、ボランティアがイベントを紹介しても在宅の人からは「私達が行ってもいいんですか?」といった反応が聞かれるように なり、被災者間でも不健全で遠慮が生まれている状況。

以上の通り、同じ被災者のなかでも数々の差が生まれており、対人関係に影を落としている。復興に向けて被災者同士助けあって頑張っていこうという時に、哀しい話である。

 

=活動を通してみえるボランティアの限界=

やはり、ボランティアの問題は短期で入れ替わり立ち代わりすること。したがって被災者の文脈を押さえた継続的な活動をするためにはここがネックになる。そ れでも支援チームはよく組織され、雇用メンバーを中心に、「まごころネット」のセンターとの連絡も随時とりながらうまく運営がなされているように見えた。 しかし、地位や権力の乏しいボランティアにとって、その活動は常に限界とのトレードオフである。

人海戦術の家屋情報集め
仮設住宅や在宅の情報を知ろうと思っても、行政は「個人情報」とのことで、とり合ってくれない。情報収集のために支援チームが打った手は、布団を欲しい人 に配布するという企画をうって、希望した人に電話番号と名前を記入してもらう、という地道な手段であった。

それを元に人海戦術で一軒一軒周って情報を収集 し、現在のデータベースが出来上がったという経緯がある。しかし、今後在宅住居者が増える中、情報や社会からの孤立を防ぐためには在宅のケアを手厚くする 必要があるのは想像に難くない。

今後は、無作為な一軒一軒の巡回を企画しているという(ローラーをかけると言うそうである)が、人手が足るかが心配され る。

いろいろニードを拾っても・・・
「困っていることは何かありませんか?」と聞くと確かに想像しなかったようないろいろなニードが表出する。しかしこれらのニードの中には本来は自治体や市 の役目で地位と権力の限られるボランティアではどうしようもないことも多い。

話を聞くことが、社会とのつながりを実感してもらう機会になり、意味があるこ とだとは思うが、でも・・・である。また、どこまでをボランティアの善意でやるか、ご本人の責任に任せるかという線引きが難しい場面にもよく遭遇する。例 えばリフォームした住居の掃除を頼まれることがあった。

「自立支援」の意味
車がない被災者のために、生活支援の目的で病院などに車を出して同行するというサービスも組織的に実施されている。しかし、周囲のタクシー会社の業務妨害 をしては地域社会の自立に繋がらない。「自立」と「依存」の間で、地域の組織、企業とうまく折り合いを図りながら個人と社会の支援を行なっていくことの困 難さに直面する日々である。

情報収集の壁
実際に訪問して驚いたことは、被災者同士であっても、相手の気持をおもんばかって、お互いに聞けないことが多いということである。そのような状況で訪問し て話を聞き出すなんてなにをかいわんや、である。実際に生活支援チームの活動初期の頃は、悪気なく聞いた質問で被災者を傷つけてしまう反省もあったそう だ。被災者からの情報収集の壁は高い。

NPOや社協との統合と住み分け
未曽有の経験の中で活動のインフラを整備していくのは未知への「挑戦」ともいえよう。今後は国や県、市、自治体とNPO法人や社協などの支援団体とが協同 してインフラ整備をしていく必要がある。

しかし、現場ではまごころネットや他団体と有機的に結合していることを実感できる場面は少なく、むしろバラバラに 活動している印象を受けた。住民の反応も同様で困惑すらしているようであった。今後は活動の住み分けや統合が課題となろう。頻回に訪問されることを迷惑に 思っている世帯もあることも知った。
 

=被災地での活動を通じての私なりの感想=

被災地はようやく復興へのスタートラインにたったというだけで目の前に山積する問題は解消するどころかますます大きくなっていると思われる。

「衣食住」そして「仕事」の問題
ライフラインは整備されたが、今住人にとって最も不安な問題はまだ復興への見通しがついていないことだろう。家を失った仮説住宅の住人の中には、今後家を 立て直せばそこに戻れるのか、あるいは復興住宅に居を移さなくてはならないかさえ不透明な人も多い。

さらに被災地に残って生活するにも生計を立てるだけの 生業が圧倒的に不足している。産業を誘致するためにはインセンティブが必要であるが、被災を受けたこの地にインセンティブを持たせることができるのか、疑 問である。これは県や自治体だけでは解決しない問題で、国の行政と一体となって進めていかねばならない大きな課題である。

先の見えぬ災害対策
がれき撤去がようやく一段落しつつあるように見受けるが、防災のための対策もまだまだ進んでいない。現在被災地は数メートルの地盤沈下を起こしており、都 市計画作りと同時並行してその問題を解消する必要がある。堤防を作る計画があるそうだが、それとてまだ数年はかかる。

◆方、仮設住宅避難は当初2年間とさ れていたが1年延期されて3年間と決まった。住居を追われる住人が安心して住める都市づくりはいまや一刻の猶予も許されない、せっぱ詰まった状況であると 肌身で感じた。

「先細り」してはならぬボランティアだが・・・
さらにボランティアの数も一定規模でまだまだ継続的に必要であるが、メディアの報道頻度が減る中、風化しそうな気配が漂うことに懸念を抱かざるをえない。

そして、医療・介護の問題
医療の問題も深刻である。訪問した高齢者の多くは、内科や整形外科、そして精神科的問題を抱えていた。確認できた高齢被災者のほとんどは眠剤を服用してい た。大槌地区の住人の多くは現在仮設施設で運営している大槌病院へ通院している人が多かったが、隣の市の釜石に通っている方もいらっしゃった。

内科も待ち 時間が相当で大変とのことでだが、整形にいたっては1ヶ月に1回しか診療がなく、必然的に足が遠のくようであった。障害を抱えた高齢者にもかかわら ず、デイサービスを利用している方がほとんどいらっしゃらなかった。社協が絡んで介護保険サービスを整備しているのかと思われるが、ケアマネなどが足りて いるのか、サービスが充足しているのか、など疑問が残った。
 

=被災地支援活動を終えて=

4日間の被災地支援を終え、本当に多くのことを知り、学んだ4日間だった。これから自分に何ができるか?来る時よりも多くの被災者の悲しみ、怒り、孤独、 願い、希望を自分の胸に抱えた今、重い命題にめげずに出来ることをひとつひとつやって行こうという思いを新たにした。とにかく今回の経験を通じて感じた大 切なことは3つある。

1.個人でできる復興への支援の糸はたとえ細くても、まずは決して切らさずとにかく何らかの形で継続的に関わること

2.そして一本一本の糸は細くても出来るだけ周りの多くの人を巻き込んで少しでも太い束にする活動をすること

3.今回の東北の震災を教訓にして、防災への意識を高め、今後の生活や行動に反映させること

 まずは、ボランティアとして現地の空気に触れた人間としてこれだけはこれからもずっと胸に止めつつ、なにかしらのムーブメントを作っていければ、と考えている。

=最後に=

現地で被災者のために、そして現地復興のために我欲を捨てて必死に支援活動をなさっている多くのボランティアの方々。あなた方のされていることは日本の誇 りであり、被災者の方々の将来への光であり、現地復興への希望の架け橋です。

本当に体にだけは気をつけて頑張ってください。たとえ現地に赴きたくても赴け ない人のためにも。また、私が東北支援活動を行なっている間、助けていただいた病院関係者のみなさま本当にありがとうございました。

最後に被災地の方がた。今回の大震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りしますとともに、一日でも早く負った心の傷を前向きなエネルギーに変えて復興へ向け て一歩一歩前進されることを心より願っています。そして可能なら今回の体験を他者にシェアしていただけるような活動につなげて欲しいと願っています。

以上